再試合は4−3で早稲田実が接戦を物にした。再入院中のソフトバンク・王貞治監督にとって、精神的に良い薬となるかもしれない。惜しくも3連覇はならなかったが、駒大苫小牧の粘りもまた見事である。素晴らしい試合であったことに異論を挟む者はいないだろう。
だが、早稲田実の斎藤佑樹投手は、4日連続の完投となってしまった。準々決勝あたりからうまくスタミナを配分したため、決勝も投げ抜くことができた。しかし、全ての投手がこうではないのだ。もし無理がたたって肩や肘を壊し、野球選手生命が絶たれていたら、この試合は名勝負としてではなく、悲劇の試合として語り継がれていた可能性もあるのだ。
いや、可能性の話ではなく、実際にそういう例がある。1991年夏、沖縄水産(沖縄)の大野倫投手(後に巨人→ダイエー)だ。肘を痛めていたにも関わらず、県大会では連投。甲子園でも6試合全部完投、決勝では大阪桐蔭(大阪)相手に13点も取られ、敗れてしまった。それはそうだ、満身創痍でとっくに限界を超えていたからだ。大野投手が閉会式で肘が曲がったまま整列する姿を見て、高野連の幹部たちは何も感じなかったのか。ちなみに大野投手は「もう投手はやりたくない」と漏らし、巨人にも外野手として入団したが、見るべき結果を残すことができなかった。
幸い、斎藤投手は今のところなんでもないようだ。だが、甲子園優勝投手でプロで活躍した人は驚くほど少ない。それは高校時代の肩・肘の酷使が原因のひとつだと言われている。日程に余裕を持たせることができないなら、連投や球数を制限すべきだ。何のためにベンチ入りの人数を増やしたのか。大野投手のような悲劇が二度と起きないようかねて祈っているが、今年の決勝戦は本当にヒヤヒヤさせられた。
2006年夏の甲子園決勝戦は、73年ぶりとなる夏3連覇の偉業に挑む駒大苫小牧(南北海道)、夏は初めてとなる優勝を目指す早稲田実(西東京)が互いに譲らず、1−1の引き分けとなった。決勝戦の再試合は、あの松山商(愛媛)−三沢(青森)の0−0引き分け以来、37年ぶりのことだ。これは伝説のような語られ方をする試合だが、異常なまでの打高投低だった今大会のことを思えば、この1−1の引き分けもまた伝説となるだろう。