内川 聖一

(横浜ベイスターズ/2001年ドラフト1位/内野手)

[主なタイトル=首位打者(2008)、最多安打(2008)、最高出塁率(2008)]
球 団 試 合 打 率 打 数 安 打 本塁打 打 点 三 振 四死球 盗 塁
2001 横浜 .000
2002 横浜 42 .333 66 22 13
2003 横浜 45 .313 150 47 18 13
2004 横浜 94 .287 338 97 17 45 42 18
2005 横浜 90 .273 234 64 23 36 21
2006 横浜 124 .286 402 115 34 64 27
2007 横浜 92 .279 247 69 29 37 22
2008 横浜 135 .378 500 189 14 67 49 35
通算   625 .311 1939 603 53 223 254 132 20

※数字の赤字はリーグ最高。

 走攻守三拍子揃った逸材で、磨けば光るであろうことは容易に想像できた。甲子園経験こそないものの、特に高校通算43本塁打を誇る長打力に期待された。ただ、高校時代からかかとに故障を抱え、そのため練習量が多いことで知られる広島の上位指名確約を断り、長期的なトレーニングメニューを示してくれた横浜を選んだ。
 3年間は二軍でじっくり鍛える予定であったが、毎年シーズン終盤に昇格すると、打席数は少ないながらも見事な成績を残した。3年目の2003年はキャンプ中に右目の視力が大幅に低下、その後完治し一軍に昇格して結果を残すも、今度は右手の握力が大幅に低下、登録抹消されてしまう。原因は「アゴジラ」とまで呼ばれて親しまれているアゴにあった。アゴの骨格のずれが頚椎の神経を圧迫していたのである。その年は350万円アップの1850万円(推定)で契約更改するが、これにはアゴの手術のための費用が含まれていたという。これも球団の期待の現れである。

 2004年の内川は、開幕から猛ダッシュする。5月18日の巨人戦では3打席連続本塁打を放ち、一躍主力選手として認知されるようになった。だが6月に腰を痛めて登録抹消されるなど、故障の多さは相変わらず。2005年は大きな故障こそなかったが、今度は種田が絶好調で外野に回され、そこでも小池の台頭などがあってレギュラー奪取はならなかった。

 内野ならどこでも守れる万能選手だが、もともとは遊撃手。不慣れな二塁守備では送球の凡ミスが目立った。その結果、一塁や外野に回されるなど、守備位置はまるで固定されない。ところが2008年は一塁で固定され、守備面での悩みがなくなったからか? 持てる才能が一気に開花し、首位打者に輝いた。しかも、打率.378は右打者としては最高打率。

 あとはこの打棒を維持することと、守備や走塁面でもさらにチームに貢献してほしい。横浜の最下位、そしてBクラス脱出は内川の肩にかかっていると言っても過言ではあるまい。