上原 浩治

(読売ジャイアンツ/1999年ドラフト1位/投手)

[主なタイトル=新人王(1999)、最多勝(1999、2002)、 最優秀防御率(1999、2004)、最多奪三振(1999、2003)、沢村賞(1999、2002)]
球 団 試 合 投球回 防御率 勝 利 敗 戦 セーブ 奪三振 四死球 本塁打
1999 巨人 25 197 2/3 2.09 20 179 28 12
2000 巨人 20 131 3.57 126 23 20
2001 巨人 24 138 2/3 4.02 10 108 33 18
2002 巨人 26 204 2.60 17 182 29 18
2003 巨人 27 207 1/3 3.17 16 194 28 28
2004 巨人 22 163 2.59 13 153 28 24
2005 巨人 27 187 1/3 3.31 12 145 22 24
2006 巨人 24 168 1/3 3.21 151 22 24
2007 巨人 55 62 1.74 32 66
2008 巨人 26 89 2/3 3.81 72 16 11
通算   279 1549 3.01 112 62 33 1376 234 183
赤字はリーグ最高

 1999年はキャンプ前から松坂(西武)が注目を集め、その他のドラフト1位選手は半ば忘れられた存在だった。事実、私も上原はほとんどノーマークだった。初登板は開幕3戦目の阪神戦だが、黒星スタートとなる。が、ここからの快進撃は特筆に値した。5月30日の阪神戦で5勝目を挙げると、9月28日の横浜戦で負けるまでは投げるたびに勝ち続けて怒涛の15連勝! 他の選手が故障などで苦しむ中、孤軍奮闘する姿は美しかった。首位中日を追撃する最重要選手となる。終わってみれば各タイトルを総なめして、今後の活躍に大きな期待が持てた。

 しかし、2000年、2001年は故障などもあり不本意なシーズンに終わる。しかし2002年はしっかりと復活し、上原健在を印象づけた。2003年の最初はひざを痛めていた影響もあって不調だったが、徐々に立ち直る。7月20日の横浜戦から8月30日の広島戦まで、7試合連続完投勝利を飾ったのだ。1989年に斎藤雅樹(巨人)が記録した11試合連続完投勝利を覚えている私は胸がワクワクしたが、残念ながら記録は途切れた。それでも不安定な中継ぎに負担をかけずに、リーグトップの11完投をマークしたのは見事だった。

 2004年も体が万全でなく調子は良いとはとても言えない状態だったが、チームが優勝争いから遠ざかる中で最優秀防御率に輝いたのは見事だった。2005年もやはり足の状態が良くなく、打線の援護にも恵まれず、プロ入り後初めて負け越しと2ケタ敗戦を経験してしまった。2006年も故障に苦しみ、2007年は故障のため二軍スタート。開幕投手は7年連続でストップしてしまった。その後復帰するが、スタミナが戻りきらない点とチーム事情が重なり、原監督が抑えに指名。見事にその重任を果たし、球団新記録の32セーブを挙げた。

 逃げることを極端に嫌う。1999年に、本塁打王を争う松井がヤクルトから敬遠されると、ベンチからペタジーニを敬遠させるよう命じられたが、この時涙を見せたのは有名な話。また、四球数が極端に少ないのも、コントロールが良いだけではなく逃げるのを嫌っている証拠。本気で投げれば150キロを投げる力は持っている(プロ最速は152キロ)が、コントロール重視で力を抜いて投げているため、140キロ中盤くらいしか出ないようだ。

 また、2003年には飛ぶボールに対して某番組で「このままじゃ、少年が投手をやりたがらなくなる」「死人が出るかもしれない」と強い口調で警告したが、これはまったく正しい意見だった。さらに、原監督を辞任に追い込んだフロントを暗に批判したり、大量補強したことを皮肉ったりなど、なかなかプロ野球全体を見据えた良い発言をしている。2005年オフにも、2006年春開催予定のWBCに対するメジャー側の対応に、高橋由とともに疑問を投げかけた。こういうことはどんどん言ってもらいたいと私は思っている。

 2008年は先発に復帰するが、下半身の故障もあって球威が戻らず二軍落ち。しかし調整の結果本来の投球が戻り、北京五輪ではわずか2試合(2イニング)しか出番がなかったものの、いずれもパーフェクト投球で期待に応えた。オフにはメジャー移籍を目指してFA宣言している。