高橋 建

(広島東洋カープ/1995年ドラフト4位/投手)

[主なタイトル=なし]
球 団 試 合 投球回 防御率 勝 利 敗 戦 セーブ 奪三振 四死球 本塁打
1995 広島 39 90 3.90 54 45 12
1996 広島 24 52 2/3 4.96 40 21
1997 広島 34 62 4.79 35 34
1998 広島 41 101 3.83 76 48 10
1999 広島 36 102 4.68 90 42 21
2000 広島 50 112 1/3 3.93 88 60 13
2001 広島 30 173 4.27 10 132 68 23
2002 広島 26 173 1/3 3.84 14 142 41 22
2003 広島 24 167 3.66 127 44 26
2004 広島 18 96 5.53 10 66 26 24
2005 広島 14 26 2/3 9.45 14 10
2006 広島 54 46 4.70 40 17
2007 広島 22 112 3.70 74 41 18
2008 広島 21 115 2/3 3.50 71 47 11
通算   433 1429 2/3 4.23 66 87 1049 544 208

赤字はリーグ最高

 横浜高校(神奈川)時代は外野手兼一塁手。拓殖大学時代も野手として活躍したが、4年時に投手に転向するという異色の経歴の持ち主である。そのためバッティングが得意で、肩も使い減りしていないとよく言われる(日本のアマチュア野球の投手は酷使されがちなため)。

 即戦力として活躍したものの、安定しないコントロールのため、入団後しばらくは起用法も安定しなかった。先発も中継ぎもやらされる「なんでも屋」からようやく脱却したのは2001年。当時32歳だったが入団直後よりストレートの威力が増しており、制球力も格段に安定していた。そのせいもあり、初めて規定投球回数に達したのである。

 チームの主力が相次いでFA移籍する中、2004年オフには権利を行使せず残留。翌2005年には膝の故障に苦しんだが、2006年には中継ぎとして華麗に復活を遂げる。それでも高橋は先発志望が強く、ブラウン監督に先発復帰を直訴したという話もある。そのためか、2007年からは再び先発としてマウンドに。2008年には39歳という年齢で巨人戦で完封し、巨人戦最高齢完封という記録を作った。同年オフ、ブルージェイズとマイナー契約を結び、念願の渡米を果たした。

 もともと投手に転向したのが遅かったためか、若い頃よりも球威も増しており、まだ進化し続けている感すらある。ランディ・ジョンソンや工藤公康のように、長く投げ続けられる左腕になってほしい。