鈴木 健

(ヤクルトスワローズ/1988年ドラフト1位/内野手)

[主なタイトル=最高出塁率(1997)、ベストナイン(1997、2003)、カムバック賞(2003)]
球 団 試 合 打 率 打 数 安 打 本塁打 打 点 三 振 四死球 盗 塁
1989 西武 .125
1990 西武 11 .259 27
1991 西武 39 .286 63 18 10 15
1992 西武 69 .261 92 24 19 24 10
1993 西武 119 .270 352 95 13 51 62 44
1994 西武 102 .350 266 93 12 49 44 38
1995 西武 124 .252 416 105 12 42 63 48
1996 西武 109 .302 354 107 21 60 48 49
1997 西武 133 .312 471 147 19 94 76 101
1998 西武 135 .275 488 134 22 65 58 84
1999 西武 133 .261 468 122 13 81 50 79
2000 西武 119 .249 386 96 52 40 51
2001 西武 115 .252 361 91 18 51 49 43
2002 西武 65 .238 172 41 27 31 18
2003 ヤクルト 135 .317 482 153 20 95 84 62
2004 ヤクルト 129 .289 470 136 15 65 100 45
2005 ヤクルト 81 .252 274 69 32 42 28
2006 ヤクルト 34 .167 24
2007 ヤクルト 26 .111 27
通算   1686 .278 5201 1446 189 797 812 712 15

赤字はリーグ最高。

 高校時代からかなり期待された選手で、ドラフト1位指名は当然と言えるものだった。代打から徐々に出場機会を増やしていき、1993年にはレギュラーの座をつかんだ。1997年には最高出塁率のタイトルを獲得し、ベストナインにも輝いた。しかし、翌年から成績が緩やかに低下し、2001年に同じ一塁、三塁を守るカブレラ・マクレーンの入団で出番が激減。2002年にはわずか65試合の出場にとどまり、この年のオフに金銭トレードでヤクルトへ移籍した。
 ヤクルトには岩村と新外国人のベッツがおり、代打での出場が中心と思われた。ところが開幕戦で岩村が右手首を故障し、代役として鈴木健に白羽の矢が立った。最初は5番古田、6番鈴木だったが、あまりにもバッティングが好調なため5番に昇格。そして怒涛のごとく打ちまくった。一時は首位打者を争うほどの活躍で、3年ぶりに規定打席に到達、5年ぶりに20本塁打を放ち、6年ぶりに3割に到達した。若松監督がシーズン中に何度も「健が来てくれて本当に良かった」と言うほどであった。

 私は、古巣を見返す働きをする選手が大好きである。鈴木の場合は西武とはリーグが違うが、試合の解説で元西武監督の東尾修氏がべた褒めするシーンが目立った。2003年5月25日の阪神戦では、ファウルフライを果敢に追ってカメラマン席に飛び込み負傷、そのまま退場するという場面もあった。西武時代はどちらかといえば覇気に欠けるプレーが目立ったのは事実だが、ヤクルトに来て大いに変わった。半ば戦力外のような形で西武を出されたことが、よほどこたえたのだろう。今の鈴木健は、若手の模範となるべきプレーヤーだと思う。
 ただ、徐々に西武時代に戻ってしまいつつある。粘りの足りない打撃、緩慢な守備。新外国人リグスの加入もあって出番は減少、成績は急降下。2007年は岩村のメジャー移籍により三塁のポジションが空いたが、飯原・宮出ら若手が優先起用された。2007年オフに引退を表明。お疲れ様でした。