篠原 貴行

(福岡ソフトバンクホークス/1998年ドラフト2位/投手)

[主なタイトル=最優秀勝率(1999)]
球 団 試 合 投球回 防御率 勝 利 敗 戦 セーブ 奪三振 四死球 本塁打
1998 ダイエー 51 55 2/3 4.53 47 32
1999 ダイエー 60 79 1/3 1.25 14 80 26
2000 ダイエー 57 76 1/3 3.18 43 17 11
2001 ダイエー 33 41 2/3 6.26 28 17
2002 ダイエー 19 21 2/3 0.83 20
2003 ダイエー 30 42 2/3 2.32 10 40
2005 ソフトバンク 1/3 0.00
2006 ソフトバンク 50 34 1/3 3.41 32 13
2007 ソフトバンク 37 26 2/3 3.71 18
2008 ソフトバンク 21 14 3.21 11
通算   359 392 2/3 3.14 29 16 17 320 135 31

 逆指名(自由獲得枠)でソフトバンク(元ダイエー)に入団する有力投手は多いが、篠原もその1人。ルーキーイヤーから51試合に登板するが、この年は敗戦処理的な役割のほうが多かった。篠原がその名前を広く知られるようになるのは2年目の1999年。この年は来る日も来る日も投げ続け、なんとリリーフ投手ながら14勝を挙げ、しかも最優秀勝率(.933)のタイトルまで受賞してしまった。この年のダイエーはリリーフ投手のおかげで優勝したようなものだが、篠原はその中でも最も貢献した投手の1人だった。
 翌年になってもその勢いは続くが、オールスターの時に全パの監督だった王監督が監督推薦で篠原を選ばなかった。王監督がその理由を「篠原は疲れが溜まっている」と説明したため、他の5球団からひんしゅくを買った。

 2001年は先発転向プランと前年までの登板過多のせいで不調に終わる。2002年も左足太もも肉離れなど故障に悩まされ、登板数は自己最低となってしまう。いつしか過去の選手になりかけていた。
 しかし2003年、シーズン途中に復帰すると、後半戦からはストッパーの座を任された。そして、持ち前の直球でグイグイ押すピッチングを存分に披露し、リーグ優勝決定試合の胴上げ投手にもなる。だが復帰後無理しすぎたのか、2004年はまたしても故障で、プロ入り後初めて1試合も登板しないままシーズンを終えてしまい、2005年も1試合登板のみ。球速は完全に衰えてしまっているが、速球で押す投球から脱却し、2006年はワンポイント的な起用法で復活を遂げている。最近は長いイニングを投げることが少なく、今後セットアッパーの地位まで復活できるかどうか。

 篠原が好調な年は優勝、そうでない時はV逸という結果がハッキリと出ている。もはやチームに欠かせない主力投手であることは明らかだ。岩瀬のような故障に強い選手ではなさそうなので、ぜひとも「ご利用は計画的に」と言いたい。