斉藤 宜之

(読売ジャイアンツ/1995年ドラフト4位/外野手)

[主なタイトル=なし]
球 団 試 合 打 率 打 数 安 打 本塁打 打 点 三 振 四死球 盗 塁
1997 巨人 32 .103 39
1998 巨人 .000
1999 巨人 40 .281 32
2000 巨人 55 .233 43 10
2001 巨人 34 .118 17
2002 巨人 109 .310 239 74 37 26 11
2003 巨人 109 .289 374 108 11 52 68 17
2004 巨人 24 .194 36
2005 巨人 46 .241 108 26 11
2006 巨人 38 .254 63 16 13
2008 ヤクルト 25 .231 26
通算   514 .268 979 262 19 113 149 47 20

 「巨人のイチロー」とまで言われ、落合博満氏(現中日監督)が何年も前からその才能を見抜いていた逸材。二軍で着実に力をつけ、5年目の1999年頃から代打・代走・守備要員として重宝されるようになる。ただし故障の多い選手で、なかなか一軍定着には至らない。
 原監督の就任1年目となる2002年に転機が訪れる。4月30日の広島戦、試合途中から一塁の守備につき、0−4と4点ビハインドの場面で息を吹き返す2ラン本塁打を放ち、これをきっかけにチームは逆転勝ち。翌5月1日には6番一塁でスタメンのチャンスが回ってきた。2、3回に二塁打を放つと、4回裏にはソロ本塁打を放ち、長打力をアピール。これをきっかけに完全に一軍に定着し、スタメンで出場する機会も大幅に増えた。

 その年のオフに松井がヤンキースに移籍し、いよいよ斉藤の出番を予感させた。しかし巨人はその穴埋めにペタジーニを補強。原監督の笑顔が引きつっていたのを思い出す。キャンプでは外野、一塁のほかに三塁にも挑戦し、少しでも出番を増やすよう懸命に努力した。だが2003年、チームは開幕から信じられないほど故障者が続出し、結果的には毎試合のようにスタメン出場することになる。打順も前年の5〜6番だけでなく1番や3番なども務めた。ただ、その斉藤も故障してしまい、規定打席には惜しくも届かない。
 2004年はローズ・小久保が加入してますます競争は激化。しかもキャンプから故障で出遅れ、それを取り戻せないままシーズンが終了してしまった。2005年、2006年も故障者続出でポジションは目の前にあったのに、故障と不振でチャンスを生かせなかった。2007年は交通事故による負傷に始まり、他の若手外野手の台頭で一軍では出番がなく、そのまま戦力外。ヤクルトへ入団するも、移籍1年目は代打中心で見るべき結果を残せない。そろそろ結果を出したいところだが…。