佐伯 貴弘

(横浜ベイスターズ/1993年ドラフト2位/内野手)

[主なタイトル=なし]
球 団 試 合 打 率 打 数 安 打 本塁打 打 点 三 振 四死球 盗 塁
1993 横浜 55 .198 131 26 12 27 14
1994 横浜 107 .258 283 73 11 44 59 33
1995 横浜 103 .264 212 56 29 45 30
1996 横浜 114 .290 390 113 59 55 35
1997 横浜 106 .260 265 69 25 62 31
1998 横浜 108 .289 304 88 55 54 33
1999 横浜 112 .309 363 112 10 53 49 35
2000 横浜 122 .259 440 114 52 69 44
2001 横浜 140 .302 490 148 14 73 73 50 11
2002 横浜 62 .297 209 62 23 36 12
2003 横浜 104 .272 268 73 11 41 64 17
2004 横浜 127 .322 463 149 19 57 100 42
2005 横浜 146 .272 578 157 19 88 119 60
2006 横浜 86 .225 307 69 37 78 32
2007 横浜 125 .302 404 122 16 67 54 37
2008 横浜 90 .269 186 50 19 30 14
通算   1707 .280 5293 1481 143 734 974 519 41

赤字はリーグ最高。

 チームの明るいムードメーカー。しかし佐伯から野球の指導を受けようとする高校生の服装のだらしなさを叱るなど、ベテランとしての自覚も高い。
 学生時代はスラッガーとして鳴らしていたが、プロに入ると一発狙いは捨てたようだ。走攻守いずれもそこそこで、しかも左投げのせいで外野と一塁しか守れないのがネックになる。一塁手に新外国人が来ると外野に回り、その選手が不振で二軍落ちするとまた一塁に戻るというお決まりのパターンが定着しつつあった。

 2000年、そういう現状を打破しようとしたのか、長打力不足に悩むチームを救おうとしたのか。「君には合わない」というバット職人の忠告を聞かずに強打者用のバットに切り替えたが、わずか6本塁打に終わってしまう。2001年にはまた元のバットに戻したそうだが、背番号が26から10に昇格したこの年に初めて打率3割(規定打席到達)をマーク。ようやく主軸選手としての地位を固める。
 その後もウッズを始めとする外国人や、多村を始めとする若手との競争にさらされることになるが、安定感に磨きがかかった佐伯はレギュラーの座を渡さない。2004年オフにはFA宣言をするが、牛島和彦新監督の説得を受けて残留を決意。翌2005年には全試合4番としてスタメンに出場し、ますます若手を引っ張る立場として君臨した。

 2006年は開幕当初から大不振に陥ってしまった。そんな折の4月28日の広島戦では決勝点となる逆転3ランを放つが、お立ち台で「こんな自分にでも生きる水を与えてくれるファン、僕にあいさつしてくれるチームメートに感謝しています」と涙声で話した。2007年はこれをバネに、見事復活。2008年は内川に一塁のポジションを奪われるも、代打として活躍。チームのAクラス浮上のために、まだまだ欠かせない存在である。