アレックス・ラミレス

(ヤクルトスワローズ/2001年来日/外野手)

[主なタイトル=本塁打王(2003)、打点王(2003、2007、2008)、最多安打(2003、2007)]
球 団 試 合 打 率 打 数 安 打 本塁打 打 点 三 振 四死球 盗 塁
2001 ヤクルト 138 .280 510 143 29 88 132 32
2002 ヤクルト 139 .295 539 159 24 92 146 26
2003 ヤクルト 140 .333 567 189 40 124 104 40
2004 ヤクルト 129 .305 525 160 31 110 118 30
2005 ヤクルト 146 .282 596 168 32 104 121 30
2006 ヤクルト 146 .267 603 161 26 112 104 23
2007 ヤクルト 144 .343 594 204 29 122 106 29
2008 巨人 144 .319 548 175 45 125 90 49
通算   1126 .303 4482 1359 256 877 921 259 13

赤字はリーグ最高。

 若松監督がラブコールを送り続けて獲得が実現した選手。当時絶対的な4番として君臨していたペタジーニがいたが、その後ろを打つ5番が不在だった。しかし、来日1年目の2001年は29本の本塁打を打ったものの、チャンスに弱い上に確実性にも欠けたので、結局7番を打つことが多かった。この年チームは日本一に輝いたが、優勝に大きく貢献したとまでは言えない。
 2002年は本塁打が若干減った代わりに打率と得点圏打率が上昇したが、相変わらず三振が多く、主軸を1年間任せるには心もとない存在だった。そしてこの年のオフ、4番のペタジーニが移籍し、ラミレスが新4番を任されることになるのだが、ここからのラミレスは見ものだ。ラミレスの打撃成績を丹念にノートに記している夫人から「あなたは2ストライクと追い込まれてから極端に弱い」とハッパをかけられると、これに奮起したという。我慢を覚え、三振の数が大幅に減った。得点圏打率もリーグトップにまで躍り出て、ペタジーニの穴を全く感じさせなかった。

 2006年は期待されたような結果を残せなかったが、2007年は2度目の打点王に最多安打で最後まで首位打者を争い、右打者としては史上初めての200本安打を放つなどチームに大きく貢献したが、ヤクルトは複数年契約を認めず、これを不満として退団。巨人への移籍が決まった。移籍1年目の2008年は3度目の打点王に輝き、初のMVPに輝くなど巨人の優勝に貢献した。

 ホームランを打った後の「アイーン」や「ゲッツ!」「そんなの関係ねぇ!」などのパフォーマンスはおなじみになり、観客を喜ばせている。そういう性格なので、チームに溶け込むのも早かった。そうなると、ラミレスのホームランを見るために球場に駆けつける野球少年もきっと多く出てくるはず。ピッチャーに向かって大きなガッツポーズをしていっそうの敗北感を与えたり、「見たかボケ!」などと叫んだりするよりもずっと良いパフォーマンスなのではないだろうか。