岩瀬 仁紀

(中日ドラゴンズ/1999年ドラフト2位/投手)

[主なタイトル=最優秀中継ぎ(1999、2000、2003)、最優秀救援(2005、2006)]
球 団 試 合 投球回 防御率 勝 利 敗 戦 セーブ 奪三振 四死球 本塁打
1999 中日 65 74 1/3 1.57 10 73 24
2000 中日 58 80 1/3 1.90 10 65 29
2001 中日 61 62 2/3 3.30 62 19
2002 中日 52 59 1/3 1.06 66 18
2003 中日 58 63 2/3 1.41 69 13
2004 中日 60 64 1/3 2.80 22 53 17
2005 中日 60 57 1/3 1.88 46 52 10
2006 中日 56 55 1/3 1.30 40 44
2007 中日 61 59 2.44 43 50
2008 中日 51 49 2.94 36 41 10
通算   582 625 2/3 2.04 47 28 193 575 157 26

赤字はリーグ最高。

 阪神がドラフト1位指名を確約したがそれを蹴って、たとえ下位指名でも地元・ドラゴンズに入団すると言った選手。その心意気やよし。
 相思相愛の中日では、1年目から中継ぎでフル回転。ルーキーながらリーグ最多登板を果たす。その後は毎年50試合以上に登板しながら長期離脱することもなく、最優秀中継ぎに3度輝くなど、球界を代表する中継ぎと言ってもいい存在にまで登りつめた。宣・サムソンが退団し、落合が戦線離脱する中で1人奮闘した2000年は特に見事だった。

 普段はニコニコした表情をしながら、マウンドでは闘志をむき出しにしてバッターに襲い掛かる、私はそのギャップが何とも言えず好きだ。曲がりの大きなスライダーは分かっていても打てず、そして調子が悪くても何とか無失点で切り抜けてしまう。安定感は12球団の全投手の中でもNo.1と言える。
 星野監督の時は考えなしにどんどん岩瀬を登板させたため疲労が溜まり、2001年はやや調子を落とした。しかし、山田監督が就任した2002年以降は無理のない登板計画(?)で再び防御率1点台。2004年は抑えに転向し、2005年には横浜・佐々木のセーブ記録を上回りプロ野球記録となる46セーブを挙げた。2006年にはプロ野球史上初の2年連続40セーブ。

 2008年には北京五輪の日本代表に選出されるが、不可解な起用法と国際球に苦しみ、日本代表の5敗中3敗を喫してしまう。シーズンでも2007、2008年と救援失敗が目立った。とはいえ、プロ野球新記録の10年連続50試合以上登板は素晴らしいの一言。まだまだやれる投手だけに、どう立て直してくるか。