岩本 勉

(北海道日本ハムファイターズ/1990年ドラフト2位/投手)

[主なタイトル=なし]
球 団 試 合 投球回 防御率 勝 利 敗 戦 セーブ 奪三振 四死球 本塁打
1991 日本ハム 2.00
1994 日本ハム 21 5.14 10
1995 日本ハム 29 132 3.07 113 47 15
1996 日本ハム 27 176 3.99 10 144 57 15
1997 日本ハム 27 114 4.74 75 52 19
1998 日本ハム 27 181 2/3 4.11 11 110 65 26
1999 日本ハム 27 189 3.81 13 11 158 99 14
2000 日本ハム 24 155 1/3 5.21 12 98 82 16
2001 日本ハム 22 143 4.90 12 94 61 27
2002 日本ハム 17 6.88 12 10
2003 日本ハム 17 26 1/3 6.41 17 11
2004 日本ハム 11 57 6.16 36 29
2005 日本ハム 10 22 2/3 5.96 16
通算   239 1244 4.44 63 79 885 527 161

赤字はリーグ最高

 記録より記憶に残る選手の代表例だろうか。お立ち台での「まいど〜!」は長いこと聞いていない気がする。低迷するチームの中で選手会長を務め、またムードメーカーとして君臨した。
 ピッチングのほうはものすごく速い球があるわけではなく、緩急をつけた投球と大きなカーブで抑えるタイプ。どちらかと言えば技術よりも気持ちで押すタイプでもあるが、いったん打たれだすと集中力が切れてしまうなど、気持ちにムラがあるのは難点。

 お立ち台やキャンプでの練習でひょうきんな行動をとってファンや選手を笑わせてくれるが、実は真面目な人である。不本意な成績に終わったのをきっかけに、登録名を「岩本ツトム」から本名の「岩本勉」に戻した(2001年5月30日)。また2002年には二軍で、あたりが真っ暗になるまで練習したため、コーチから「もうやめてくれ」と嘆願された、というエピソードも残っている。
 2004年はチームが札幌に移転し、心機一転頑張るチャンス。前年の中継ぎではなく、本人の希望である先発として起用されたが、またしても結果を残せなかった。2005年オフに球団からコーチ就任を要請されたが、現役続行を希望して固辞、退団に至る。しかし結局移籍先も決まらないことから、引退となってしまった。2006年3月のオープン戦で引退登板の機会を作ってもらえたのは、岩本の球団に対する貢献度を示している。本当に長い間お疲れ様でした。