こういうチームであるが、岡田氏が当時の国鉄スワローズのファンになったのが1952(昭和27)年のことだという。当時は優勝どころかAクラスにもなることができない弱小チームだった。外野席にいる観客が10人に満たないということもあった。それでも岡田氏は熱心に球場に足を運んだ。
「応援に金をかけない。そんな金があるなら明日の入場券を買え」というのがポリシーだったという岡田氏は、家庭にあるフライパンを叩いて応援を始めた。まだ鳴り物の応援が行われていない時代で、こういった応援の仕方は珍しかった。したがって、「なんだあいつは」みたいな目で見られるのが普通だったという。
それでも熱心に熱心にフライパンを叩き続け、次第にこれを真似する人が増えていったが、当時はフライパンがない家庭もあったので、「絶対にどの家庭にもある」というこうもり傘を使った応援に変更する。これが傘を使った応援の始まりであった。しかし黒いこうもり傘を使った応援は、しばしば観戦の邪魔となったので、透きとおったビニール傘での応援に変更され、現在に至っている。
1978年にチームが初優勝したときには、「(東京人なら)絶対に知っている」東京音頭を使った応援も始め、歌詞カードをガリ版で刷ってスタンドで配って歩くこともした。そんな過程を経て、岡田氏の存在は次第にスワローズファンなら誰でも知っているという大きな存在となっていく。ちなみに、カープ応援団がプロ野球で初めて鳴り物を使って応援を始めたのもちょうどこの頃で、この応援方式が全球団に取り入れられ、現在も続いている。
皆さんは昨今のプロ野球の応援について、どう思っているだろうか。個人的には鳴り物を使った応援はあまり好まないが、これは好みの問題なのでまあ良い。しかし、最近の外野席はまことにおかしな空間になっている。平然と応援の強制が行われており、応援しない人は内野に行けという雰囲気になっている。しかし、どう応援しようとも個人の勝手で、応援しない人は高い内野席を買えというのはあまりに無理な言い分ではなかろうか。ちなみに私は贔屓球団が特にないのだが、それでも外野に座ったら闘魂こめて、六甲おろし、燃えよドラゴンズなどを歌わなければならないのだろうか。私はそうは思わないので、強制されてもいつも無視している。
岡田氏は生前、こう述べたことがあった。
「ファンに喜ばれる、というのがオレの応援のポリシーだ。応援しろと強制なんかしねえよ。応援を楽しむことによりファンが乗って、そのファンの応援で選手を乗せられれば、最高じゃないか」
今の勘違い応援団員たちに聞かせてやりたい言葉である。
最後に、岡田氏のご冥福をお祈りするとともに、岡田氏のポリシーがいつまでも受け継がれるよう願う次第である・・・