監督の価値2009/5/27up


 5月18日、横浜の大矢監督が「休養」することになった。このことに頭から反対するつもりはない。が、どうせやるなら大矢監督を「解任」し、田代富雄監督代行は「監督」として起用すべきではないのか。大矢監督が今季中に復帰する可能性が万に一つもないことなど、誰しも承知している。

 ただでさえ選手層が薄いチームなのに、「若返り」を理由に石井琢朗や鈴木尚典を戦力外にしてしまった。石井は二遊間の要として、鈴木は代打の切り札としてまだまだ戦力になったはずだ。その結果、実績のない若手をスタメンや代打で使わざるを得ないという苦しい采配を余儀なくされている。この「若返り」の手法には、疑問を抱いてしまう。若手は出番を与えられるのではなく、勝ち取るべきである。

 このほかに正捕手の相川亮二がFAでヤクルトに移籍するなどしたが、この3人を埋めるような目立った補強はなし。わずかに、FAで阪神から野口寿浩を獲得したのみである。しかし、阪神で6年間ベンチを温めていた野口が、1人で相川の穴を埋められるはずがないのは自明の理。この文章を書いている時点では、二軍落ちしている。

 そのほかに新外国人も補強しているが、戦力的に見れば最下位だった昨年と大差がない。それどころか相川の不在が痛く、むしろ昨年よりやや落ちると見てもよいかもしれない。だから5月の時点で借金10という結果も、誰しも予想できる事態である。私はてっきり、フロントは今年は育成の年にする腹積もりで、だからこそ大矢監督を続投させたものと思っていた。しかし、現実には「借金10をデッドラインを見ていた」(スポーツニッポン)のだそうだ。

 だが、借金が1ケタで済むような戦力とは、私は思えないのである。監督の価値は、与えられた戦力以上の結果を残せるか否か、ここに尽きると思う。なるほど、大矢監督は与えられた戦力並みの結果しか残せなかったが、さりとて優勝争いできる戦力を持ちながら低迷したというわけでもない。

 大矢監督の采配や度重なる選手の配置転換などに不満を持つファンが多いのは承知しているが、ここで問いたいのはそういうことではない。なぜ監督だけが解任の憂き目を見なければならないのか、ということである。先にも書いたとおり、別に私は大矢監督の解任に反対というわけでもないが、フロントだけが何の責任もとらず現職にとどまるのは明らかにおかしいと思う。現場にだけ責任を押し付けるのは、野球界にはびこる悪しき慣習だ(Jリーグよりはマシだが)。

 監督を取り換えただけで勝てるなら誰も苦労はしない。昨年はオリックスのコリンズ監督が電撃辞任して成績が上向いたが、これは例外だ。2003年のオリックス・石毛監督、1992年の大洋・須藤監督、1984年のヤクルト・武上監督…。これらは結局、5位か6位で終わっている。全部は思い出せないが、劇的に成績が上向いた例は前述のコリンズ監督の辞任くらいしか思いつかないのである。

 日本での最優秀監督賞は、判で押したようにチームを優勝に導いた監督が選ばれる。しかし、群を抜いた戦力を持ちながら僅差で優勝した監督より、最下位になるような貧弱な戦力をやり繰りしてチームを4位に導いた監督のほうが価値が高いのではあるまいか。「結果が全て」とは言うが、結局のところフロントが戦力を整えないと、監督の力だけでやれることには限りがある。どんなに戦術が優れた将軍でも、兵力も武器も食糧もなければ敵に勝つことはできないのだ。

 ゆえに「最下位だから」「借金が10だから」と、自動的に解任されるのは個人的に納得がいかない。まるで「戦力が足りないから、大金を出してあなたに監督をやらせてるんでしょ」と言わんばかりである。こんなことを考えているような球団は、もうプロ失格である。

 フロントが監督を解任して自己満足に浸るような風潮が広がるのは、実に恐ろしい。